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今の時代、分かりやすい表現は歓迎され、美徳であるとさえ言われる。
分かりにくい話、小難しい表現は敬遠され、非難の的になる。分かりやすく話す人は人気を博し、難解な話をする者は不評を買う。
確かに、技術が高度化し、制度も複雑化した今日、それらを噛み砕いて、分かりやすく話してくれる人の存在はありがたいし、歓迎されて当然と言える。
これまでのように、話を聞いても理解できないと、「しっかり聞いていないお前が悪い」と聞き手に責任が押し付けられていた時代から
今や、説明して分からせる責任は話し手に課せられるようになったことも、分かりやすく話すことへ拍車をかけている。
人の問題は一方だけの努力ではやがて、弊害が生まれる。分かりやすい話を聞き慣れてくるにつれ、聞き手は難しい話に挑戦して、理解しようとの努力を怠り始める。
簡単に理解できそうにない話は、「そんな難しいことを言われても」と簡単に諦めてしまう。
これまで日本人が持っていた、話を聞いて理解する能力が低下しつつあるように思えてならない。
だから提案したい。上司は分かりやすさ一辺倒でなく、あえて難解な話をして、部下に挑戦させることを、だ。
作家の里見惇は「文章の話」の中で、こんなことを言っている。「分かりにくいということは、知識慾の旺盛な子にとっては非常に魅力です」
部下の知識欲を刺激の難しさを伴う話をするのも、必要な試みだろう。
説明の責任が聞き手だけに負わされていたのは誤りだったが、逆に話し手のみに説明責任を押しやるのもも誤りである。
聞き手も理解しようと、頭と心を働かせる責任がある。
この責任を忘れるとつけは聞き手に回ってくる。一見分かりやすく、中身のいい加減な話に、たやすくのせられてしまうからだ。
この手を使って、どこかの国の首相が選挙に圧勝したではないか。
部下の聞く力を伸ばすには、上司として一工夫がいる。
福田賢司
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